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広報委員が行く!会社訪問

株式会社ビジュアルコミュニケーションズ

所在地:東京都港区港南3-5-16
港南廣瀬ビル1F
電 話:03-5495-1381
FAX:03-5495-1388
代表取締役社長:小山一彦

 

「広報委員が行く!会社訪問第28回は、技術系会社であり番組制作も手掛ける「株式会社ビジュアルコミュニケーションズ」の社長で、また一般社団法人全国放送派遣協会の会長でもある小山一彦社長を訪問。
テレビマン人生のお話を聞くとともに、放送業界における派遣法改正の行方もお聞きしました。

 

インタビュアー:広報委員 (株)NX 中山維夫
写真撮影:広報委員 WACホールディング(株) 岡村 宇之
(2015年7月取材)

 

Q.貴社は、業界でもかなりの老舗の会社ですよね?

設立は1977年です。遡ると1971年にその母体となる小山フィルムプロダクションを創立してからになりますから、老舗といえば老舗ですね。

 

Q.44年前(2015年取材)設立された小山フィルムプロダクションを作られたきっかけは?

1966年に早稲田大学に入学したのですが、高校時代に映画研究会で活動した事もあり、映研に入るつもりだったのですが、当時キャンパスはバリケードで封鎖され、授業も行われず、ましてサークル部室は学生運動の巣窟となっていました。たまたまキャンパスで出会った高校の同級生に誘われてテレビ芸術研究会に入ることになりました。運命が変わった瞬間でした。(因みに同級生はNHKに入局、報道カメラマンして活躍)

 

─ この早稲田大学の「テレビ芸術研究会」は歴史が古く、1953年日本テレビが開局した年に、後に松竹で映画監督となる前田陽一氏が中心となり‘テレビは第8芸術の映画に次ぐ芸術だ’として発足。以後映画界や放送界に多くの人材を輩出、小山社長の時代にはテレビマンユニオンの創設に関わり、後に社長を務めた白井博さん、現在テレコムスタッフ社長の岡部憲一さん、共同テレビ副社長中村孝昭さん、銀河テレビ社長の関本好則さんなど偉才がそろっていた。

 

テレビ芸術研究会(テレ研)では8ミリと16ミリで短編映画を撮っていました。一方で先輩から代々引き継がれていたフジテレビのアルバイトのお鉢が私に回って来たのです。「小川宏ショー」です。3年間ADとして働きました。
大学4年でバイトを卒業、映画界めざしてテレビ芸術研究会でシナリオ同好雑誌を発刊、その中の一編のシナリオがなんと映画のプロデューサーの目にとまり、一気に映画化へ、「シナリオを書いた奴が監督を」と白羽の矢が私に!なんと成人映画でいきなり映画監督デビュー、35mm映画ですよ。
新東宝映画の撮影監督や照明のベテランスタッフに揉まれながら奮闘しました。カラミのシーンの演出に経験不足が露呈?幸いにも興行がヒット、二本目も決まり公開され、因みにその時の助監督は高橋伴明氏、意気揚々と映画監督への道と思った矢先、アルバイト時代のCXプロデューサーから「新番組を立ち上げるから手伝って欲しい、出来れば小山組スタッフも一緒に」とのお達し、断れずCXへ。またまた運命が変わった瞬間です。
「東京ホームジョッキー」という夕方4時から始まる主婦向けの情報番組がスタートしたのです。スタッフが出したユニークな企画のひとつが「TVバーゲン」でした。

 

─ この番組がフジのショッピング番組の始まりで、「リビング2」「リビング4」「リビング11」に発展し、「リビング新聞」が発刊し、株式会社「ディノス」まで発展。

 

番組プロデューサーから「小山、フィルム回せるだろう」って言われて、恐れ多くもカメラマンを任されるなど、番組に積極的に関わることになり、そんな経緯もあって会社つくっちゃおうと。テレ研の先輩と2人でちいちゃな会社を作ったそれが始まりですね。

 

Q.フィルムからビデオに代わる過渡期のテレビの制作現場は、どんな感じでしたか?

その夕方の主婦向けの番組では、コンセプトとして朝刊を見て、あるいは昼のニュースを見て取材に行って、夕方の4時に間に合わせるのですから、そりゃもう大変です。
フィルムじゃ、現像していたら間に合いませんから、当時出たばかりの小型のビデオカメラとUマチッックのオープンデッキレコーダを使うことに。でも編集機もない時代ですから、ビデオテープをカミソリで切ってつないでいたんですよ。

 

Q.ビデオテープをカミソリで切って絵が繋がるんですか?

モニターで再生しながら、「この辺かな?」って決めて。コツがあって、テープを斜めに切って貼るとワイプする感じでなんとか繋がるんです。VTRをそのまま生放送で出せませんから、スタジオモニターに再生して、生カメラで再撮して放送しました。ENG初期の苦労話ですが、それを実現させたプロデューサー小野光さんを今でも尊敬しています。

 

─ フィルムからビデオへと時代が変わる中、小山フィルムプロダクションの名も改名することに…。

 

改名ではなくフィルムにこだわる“小山フィルムプロダクション”とは別に、技術を主としたTV番組制作会社をつくろうと考え、テレビ芸術研究会で一緒だった松井三重子(現取締役)にも参加してもらって設立。ビジュアルのVを入れて、映像でコミュニケーションを図る会社としてビジュアルコミュニケーションズ 略して 社名を「VIC」としました。あと、VICって跳ねる感じがいいじゃないですか。

 

Q.小山社長と言えば、カメラマンのイメージが強いですが…

そうですね。本来はディレクターなのですが、カメラマンとして優秀なのかどうか、ありがたいことにカメラマンとしての仕事の依頼が続きました。そのせいでしょう。でもディレクターとしてもNHK、民放各局の番組を作っていましたよ。生放送もしたし。

 

Q.噂で聞いたことがあるんですが、小山社長は、吉田拓郎さんの伝説のライブを撮影されたとか…

当時、学生運動が盛んな時代、フォークソングが注目され始めていましたが、テレビには出ないというアーティストがほとんどでした。その中でカメラマンとしてコンビを組んでいたフジテレビのディレクター石田弘さんは、アーティストと信頼関係があり、キャロルやチューリップの楽曲クリップをフィルムで撮っていました。その流れで、音楽事務所ユイ音楽工房からアメリカで“ウッドストック”野外コンサートが成功しているから、それの日本版を「吉田拓郎とかぐや姫」でやろうという話が持ち上がったんですね。その時、石田さんの提案で、ウッドストックでは記録映画を撮っているので「おれたちもやろう」ということになりまして、「拓郎・かぐや姫 コンサートインつま恋」という夜を徹した日本初の12時間野外コンサートを撮ったんですね。

 

Q.タイトルを聞いただけでも大変そうですね?

コンサートですから全編を同時録音撮影しなければなりません。同録用16 mmフィルムカメラを9台用意して撮影しました。事前のカット割りはあったものの、インカムもモニターもなく9人のカメラマンが5万人の観客の中で撮るしかない。あとは信じるしかないと。それで、みんな気合いが入ってるから、「午前4時の夜明けから撮ろう」みたいなことになって、午後4時開始の本番前にバッテリーが足りなくなって、急きょ、照明用のバッテリーを分解して作ったりして。もうねじり鉢巻きで大変でしたよ。翌朝4時、朝日を浴びて「人間なんて」を歌う拓郎を無我夢中で必死で撮影したことを思い出します。

 

炎の12時間のライブ映像は2時間8分の映画として完成、全国津々浦々で公開されました。DVDで発売中です。

 

Q.そんなフィルムの時代から今では、小山社長は3D映像なども手掛けられてますよね?

松浦亜弥さん主演の「ほんとうにあった怖い話3D」をフジテレビドラマ班から依頼を受けて3D技術監督を引き受けました。お台場冒険王で公開され、観客動員も凄かったですよ。でも、今世間は3Dブームはひと休みですが、3Dは続けています。それと4Kの撮影を始めています。昨年4K3Dコンテンツを作りました。
最近では眼鏡を掛けずに立体映像を見られる裸眼3Dディスプレイも出て来ているし、常に新しい機材に目がなく、つい飛びついてしまう癖が若い時分から治らなくて、社員からは、社長は何をやっているのかと思われているのではないでしょうか。

 

─ そんな最新映像技術にも携わる小山社長ではありますが、もう一つの顔が全国放送派遣協会の会長。

 

Q.(2015年7月現在)、労働者派遣法改正案が審議されておりますが…。今後の課題は?

テレビの今の制作現場の労働環境は、派遣社員のみならず、社員もそうですが全スタッフ含めて過重労働じゃないですか。昔の現場はおおらかだったと思いますが、特に最近はひどいと思います。
テレビ番組をつくるという現場は、決められた労働時間内に仕事を終えることはほぼ不可能です。派遣元、派遣先、派遣スタッフも含めてどう解決していくかっていう議論をしないといけないと思っていますが、なかなか実現できないことに苦労しています。
労働局と労働基準監督署からお達しがもう既に始まっていますので、悠長に構えてはいられないのですが。

 

Q.改正案では、特定派遣が廃止され一般派遣一つになりますが…

派遣の形態が一つとなり認可制になり、専門26業種がなくなります。放送は専門業種と認められていましたので、就労期間に制限はありませんでしたが、改正案では有期契約の場合は就労できる期間が3年に制限されます。
で、その人を代えればその派遣業務は継続できるのですが、放送の場合は、ADを新人で入れて育てて3年で、ようやく一人前になったときに代わりなさいと、それはないでしょ。じゃあ、代わりの新人が来てどうなのかっていうと派遣先も困るし、派遣スタッフもバラエティー番組で3年間修業して次はスポーツ局へ派遣と言われても、どこ行けばいいのってなりますよね。
まだまだ、いろいろ問題はあります。派遣社員の有期雇用、無期雇用かの契約問題。派遣会社にとって認可条件である資産2000万円以上、20平米以上のスペースが必要とか。 労働者派遣法改正案が成立しても法律は法律です。守らなければいけません。これを機に放送局、制作現場が変わっていかなきゃいけないという風に思いますが。

 

Q.それでは最後に経営者としてご苦労をお聞きしたいのですが…

ハイビジョン時代になってから1台で1000万円ぐらいしていたカメラを使って、それなりのコストをかけて仕事が出来ていたのですが、デジタル技術が進んでちゃんと映る小型カメラが出てきた、おまけに番組制作費削減で、技術費の請求額がぐんぐん減りました。技術会社としては大変ですよね。さらに追い打ちをかけるのがディレクター自らカメラを回す時代になり、ピンマイクだけ貸してくださいとか、カメラマン受難の時代です。経営者としては大変です。

 

Q.それでは最後に、これだけ長きに渡って放送業界で会社を存続させることができた秘訣を教えてください。

やはり愛されないといけないでしょう。仕事は人と人のつながりですから。いろんな人に重宝がられる。次から次へと撮影をお願いされる。忙しい現場です。深夜に電話がかかって来てカメラ担いで局に飛んで行った事も何回もあります。ほいほいと出掛けていくフットワークの軽さも必要でしょう。カメラマンとして新しい仕掛けの映像を試みたり、ディレクターや編集者のためにワンカットでもツーカットでもプラスアルファの映像を撮っておく。現場での目配り、気配りがやっぱり大事ですね。

 

Q.あと社長さんとして、社員さんに求めることはありますか?

今、うちはカメラマンの会社ですから、カメラマンとして誠実であれということです。
もちろん技術の向上は必要です。それは失敗も含めて経験を積めば伴ってきます。それよりも撮影の対象となる人間にしろ自然にしろ、物にしろ、敬意を払って対処したり、対面することが大事だと思いますね。撮らさせていただくという心構えです。

 

─ それではここで、社員の方にお話しを伺いたいと思います。
入社33年、現在はNHK「キッチンが走る!」のチーフカメラマンの佐藤智幸さんにお話しを伺いました…。

 

Q.社員さんから見て、小山社長はどんな方ですか?

カメラマンとしてよりも演出家としての小山ですかね。まずは、技術面や指導面では まあ、頑固ですね。そういう言い方が当たってないかもしれませんが。 演出家としては、そんなに口うるさくもなく、やりやすい方です。あと、筋が通ってます。 あと、お酒にはめっぽう強く会社では一番でしょう。

 

Q.ビジュアルコミュニケーションズとはどんな会社ですか?

まあ、長いキャリアがある会社ですからバラエティ、情報、ドキュメンタリー、再現ドラマ、ショッピングの商品撮影、料理系も得意です。それと、昔「スタードッキリ㊙報告」をやって以来、隠し撮りのプロ集団です。いまは「モニタリング」で大忙しです。

 

Q.では、この際、会社や小山社長に望むことは?

多くの新人を入れたいですね。この業界に興味を持っている人間が減ってはいると感じますが、映像の世界の面白さをわかって貰ってぜひ来て欲しいですね。

 

Q.では最後に佐藤さんの今後の夢や希望は?

今はバラエティが増えていますが、ドキュメンタリーや壮大な紀行ものを撮ったりしたいですね。

 

─ ありがとうございました。小山社長の教えのように誠実さが伺えた佐藤カメラマン。これからも素晴らしい映像を期待しております。

広報委員の後記!

放送の歴史に近いぐらいこの業界で長らく活躍されている小山社長。
こぼれ話ですが、ニューヨークでオノ・ヨーコさんのインタビューを自宅で 収録していた際、「トースト焼きたいんだけと」と2階から降りてきたジョン・レノンさんにもお会いしたとか。小山社長のキャリアの長さを感じます。
また、小山社長は 技術系会社としてテレビ界を支える一方、全国放送派遣協会の会長として 労働者派遣法の改正案が審議される中、放送界で働くスタッフ、そして制作会社のために日夜努力されていることがひしひしと伝わってきました。 未来の放送業界のためにもよろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。