株式会社 東京サウンド・プロダクション【TSP】
三上 信一 代表取締役社長(67才)R4.7月現在 |
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今回の「広報委員が行く!会社訪問」は、「TSP」の名前で広く知られている、「株式会社 東京サウンド・プロダクション」の三上信一社長を訪問。 企画・制作・撮影・編集・MA・効果選曲等と、映像に関わるすべてを「ワンストップ」で 提供する総合プロダクション。その会社の成り立ち、そして社長の人となりまでお伺いしました。
インタビュアー:広報委員 (株)スーパーテレビジョン 松崎 俊顕
写真撮影:広報委員 (株)エムファーム 田村 正裕
港区西麻布の交差点から徒歩で7・8分のところの、閑静な住宅地にあるTSP・本社にお邪魔します。 Q.まず、社名の由来から教えて頂けますか? 弊社は、来年で60周年なんですよ。もともとはテレビ朝日、当時のNET(日本教育テレビ)がオンエアを開始する時から、局内で何人か集まって活動していた音響効果集団が始まりなんですね。
Q.業務内容が幅広くなった今も、その社名を使い続けている理由は? 社名については、これまでもいろんな議論がありました。ただ、「東京サウンド・プロダクション」というよりも、T・S・Pというアルファベットの頭文字をとって、私たちは「TSP」と呼ぶことが多かったですし、放送業界を含め各業界でも、この名前で仕事をしてきました。 だからこの名前は、先代を含めて、私たちのアイデンティティーみたいなものなので、これまで大事にしてきたんです。
ここで「株式会社東京サウンド・プロダクション【TSP】」の概要を—-
Q.会社として特に大切にしているのはどんなことですか? 今、いろいろSDGsも謳われていますけれど、社員が働きやすい環境作りということが大切だと思っています。そしてやはり自主独立した人間であることです。私たちが社員によく言っている言葉に、「TSPイズム」というのがあります。これは仕事で認められるのはもちろん、この人に任せれば全てきちんとやってくれるという、人間としての評価を得ることです。そういう社員になって、もの作りに取り組んで欲しいとお願いしています。
ここでTSPのホームページにもある「企業理念 三つの柱」を挙げておきますと、 1 自主独立のプロ集団であること 2 豊かな創造作品で「表現」すること 3 「自立し自律せよ。正しくあること。」
Q.先ほどのお話にもあった“自主独立”に重点を置いている理由は? 基本的にもの作りってチームで行うものですけど、私どものルーツである音効は、ちょっと違っていまして。音効って割と一人で現場に行って、一人で働くことが多いんですね。そういった時に、しっかり自立していないと流されてしまうし、自分の意見も言えない。また演出側と話ができないということにもなりかねません。だから、しっかりした理念を持って、テーマを持って取り組むことが大切だと考え、「自主独立」を昔から大切なポイントに挙げているんです。 2.の豊かな創造作品で「表現」することは、映像制作の総合プロダクションとして、 「《人の心》を大切にした作品作り」を全てのスタッフが実践し、 世に送り出すことで心豊かな社会の実現に貢献していく。 そして私達は人間力《マインド》と仕事力《スキル》の融合でニーズにしっかりと応えていく。
Q.3つめの柱、『自立して自律せよ。正しくあること。』に関わるコンプライアンスの順守も大切にされているんですね。 毎年入社する新人には、会社を絶対あなたたちは守ります。ただし、あなたたちもコンプライアンスすべて守ってください。それを守っている限りは、必ず会社として守りますというお約束はしています。時々破っちゃうヤツはいるんですけど(笑)。これが大事なことです。 ※詳細はTSPホームページで、TSPの理念を参考にしてください。
Q.ところで、もともと音効集団からスタートされたTSPが、技術に業務を広げていったのはなぜですか? もともと音響効果をやっていたんですが、ロケで使うENGのカメラを入れたのは多分業界で初めてぐらいじゃないかなと思います。(1975年)。ソニーさんが売り出す前の単管のカメラを譲ってもらって、そこからENGを始めたんです。僕が会社に入った頃だから、フィルムとビデオがちょうど変わる時代で、ENGカメラはまさに最先端でしたね。当時、カメラは先代社長が自分で回していました。フィルムの人たちは、そんなオモチャは使えないと言って、手にしようとしなかったですからね。でも先代社長が自分で回して撮るうちに、その良さがだんだん広まっていって。本当にENGの初期にいい形で投資できたなと思いますね。 そこから付随して編集をするようになって。音の方は、元々土台がありましたしね。それがビデオセンターの始まりですね。
Q.その後、制作も始めたきっかけは? それはですね、先代が盲導犬を追っかけて取材を始めたのがきっかけなんです。本当に長い間、盲導犬の取材をしていまして、そこからドキュメンタリーの人たちが集まりだしたんです。そしてそういうもの作り、ドキュメンタリーが好きな人たちを集めて、制作を開始しました。
Q.そこからエンターテインメントなど幅広く制作されるようになったんですね。 テレビ朝日からの知り合いで、ドラマのプロデューサーだった人も入社し、2時間ドラマも始めました。あとはNHKさんの仕事とかいろいろ。そういった意味では昔は、テレビ朝日さんよりも、他のキー局でもたくさんやっていましたね。当時は儲けるというよりも、何かいいものを作りたいという意識で。儲からなかったですけど(笑)。
Q.NHKといえば、『ファミリーヒストリー』も制作されているんですよね? そうですね。私共のディレクターが、結構NHKさんと集中的に仕事をさせていただいていて。NHKに育てていただいたようなものなんですけど、代表的に「北野武さん」「太田光さん」最近では「いとうあさこさん」などですね。
Q.あの番組は取材がとにかく大変そうですね? そうですね、まさに綿密なリサーチと卓越した展開力が必要になります。現地に行って古文書を調べたり。戦前、戦中の話も多いので大変です。でも、やっぱり一番難しいのは満州に行った方たちなんですよね。当時、満州は日本だったじゃないですか。だから渡航記録がないんですよ。船の乗船記録というのはあったりするんですけど、パスポートがあるわけじゃない。ここに住んでいたとか、出国したとかっていうそういった記録がないんですよね。だから、生きている方を頼りに探すしかなくて。
Q.そういう努力をされていると、神様が助けてくれたと感じることもあるのでは? そうですね。「人の縁」て、やっぱりすごいです。偶然に出会ったおばさんに「何か知っているかも」ってちょっと声をかけると、話がつながったり。意外とそういう情報がちょっとあると、思わぬ話にいろいろ発展することがありますね。
Q. 2017年にテレビ朝日のグループ会社になられましたが、それはどんな経緯だったんですか? 創業時からテレビ朝日(NET)の構内で仕事をしてきました。ずっと付かず離れずの関係だったのですが、テレビ朝日さんがホールディング化するときにグループ入りのお誘いを正式に受けました。 六本木のポスプロ部門を強化するために協力してほしいとの事でした。色々悩みましたが現状の体制を受け入れてもらえるという事で決断に至りました。
Q.局のグループ会社になるのも大変だったんじゃないですか? そうですね。やはり財務的な問題もあったりするじゃないですか。 一部上場企業のグループに入ろうとすると、全て身ぎれいで行かなきゃいけないっていうか(笑)。中小企業は借金なしで、上場並みの財務体質で…なんていけないじゃないですか。それを正すところが結構大変でしたね。いろんなラッキーもあったんですが。
続いて、三上さんが社長になられた時のことを伺いたいのですが―― Q.社長に就任されたのは、どんな経緯からなんですか? 私で社長は5代目ですが、いろいろなことがあって、急にやることになったんです。僕はもの作りが好きだったので、いろんな現場に行ったりして、上から2番目ぐらいで好きなことをやっているのが一番いいなと思ったりしていたんです。だから、経営のことなんか全然気にもせずにやっていたのに、いきなり社長をやらなきゃいけなくなったんで、ちょっと悩みましたよね。 それで、2009年に代表取締役社長になったんですけど、勉強すればするほど、自分ところの経営体制状況が、「こらあかんな」みたいなところが見えてくるんですよね。それで局の人などとも話しながら、そこから経営状況の改善をしていったんです。
Q.就任後、会社の状況が落ち着いたと感じたのはいつ頃でしたか? いや、落ち着かなかったですね。実は、もともと六本木の4丁目にいたんですけど、就任後、再開発で立ち退きしてくれっていうことになって。しかも本社だけでなくスタジオも一緒に。スタジオを移転させるっていうのは、すごく難しい話で。それがドタバタドタバタしている間に、テレビ朝日のグループに入るということと、ビデオバックと合併するということにもなって。それで、やっと移転先が見つかって、2016年に何とか移転して…。社員同士のコミュニケーションも取れてきて。やっと最近になって、落ち着いてきたという感じですかね。
Q.社長に就任された時、特に印象に残っていることは? そうですね。私、社長になった時に、会社でコーチングを受けたんですよ。マーシャル・ゴールドスミス(※)のところで勉強された方が、自分でコーチングを始めるというので、3か月ぐらいマンツーマンのコーチングを受けさせてもらって。これはすごく勉強になりましたね。 僕なんかだと、「絶対こいつ論破してやろう」とか、「口応えするな」とか(笑)、そういうことを言っちゃいそうですけど…。まずは『働いてくれている人に、感謝をしなさい』と。とにかくきちんとありがとうと言える、そういった取り組みをしなさいということでしたね。 これは目からウロコでしたね。なかなかそうなれなかったですけど(笑)。 ※マーシャル・ゴールドスミス:(アメリカ)インデイアナ大学でMBA、UCLAで博士号を取得エグゼクティブコーチングの世界的第一人者。フォード・ファイザー・世界銀行など世界的大企業のCEOやその候補100名以上コーチしたことで知られている。
ここからは社長のプライベートについてお尋ねします—- Q.まず、社長の若い頃のことを伺いたいのですが? 若い時の話をあんまりすると、いろんなしがらみがあるんですが…(笑)。 ちょっとやんちゃなほうだったんですけども、24歳までバンド活動をやったりして、そういう中でPAの仕事もやったりしていたんです。 そしてテレビ朝日のある人の紹介で「TSP」に紹介してもらって、そこからプロパー(社員)でずっとなんです。当時「TSP」は音響効果の会社だったので、僕が初めてやった仕事は『徹子の部屋』のテーマ出しでした。僕が40何年前入った時にもう徹子さんの番組は始まっていて、そしてまだやってらっしゃる。すごいですよね。
Q.昔、バンドをやってらっしゃって、やっぱり音と縁が深いんですね。 そうですね。なんか音の仕事をしたいという思いはあったのだろうと思います。 私、生まれ育ちが横須賀で、当時はカップス(ザ・ゴールデン・カップス 1966~1970年代)とかが、本牧とかでやっている時代でね。僕もそういった所に入り込んだりしていたんです。でも、当時ベースをやっていたんですけど、音楽でプロになれないことが分かって。それでPAをやったりしていたのが正直なところです。
Q.その後は、どんなお仕事をされていたんですか? それで、音響効果を勉強しながら、先ほど言ったようにちょうどENGが普及しだした頃なので、フィールドの音を取る仕事・音声マンの仕事を始めました。 当時は地方にENGのクルーがいないから、東京から全部出るでしょう。だから、全国各地と海外もいろいろ行かせてもらいましたね。それこそ『川口浩探検隊』をやったり、同じ『水スぺ』で全米刑務所とか全米警察とか、そういった仕事もやったりしていましたよ。 そのうち、今度スタジオを作るという話になって、私はMAのミキサーになったんです。そのあと営業をやって、今のような立場になっているっていう感じで、ほとんど現場の叩き上げですよね。
Q.最近、ご覧になったライブなどありますか? 先日、長渕剛さんのライブに行きました。全国ツアーの初日を横須賀でやったんです。 ほとんど同じ年齢なのにあのパワーと肉体は凄いなと思いました。すぐSIXPADを買おうと思いましたよ(笑)。舞台演出も良くて、音楽+SHOW-BIZの世界だなと思いました。やっぱり生のステージって良いですよね。
Q.現在の趣味は何ですか? 今やっているのはやっぱりゴルフですかね。谷さん(日本映像事業協会 事務局長)に教えてもらっていますので(笑)。 あと、音楽はいろいろなものを聴いています。今は仕事がらみもあって、ピアニストの西村由紀江さんをすごく応援していて、毎年鎌倉と赤レンガでコンサートをやるので、いつもコンサートに行かせてもらっていますね。
Q.西村由紀江さんとはどういったご縁だったんですか? 音楽に人柄が出るということもあって、BGMで一番使いやすい曲を作っていらっしゃるので、選曲の仕事ではいろいろ使わせてもらったりしていました。 そんな中で、『情熱大陸』で由紀江さんが、北海道で撮影をしたことがあるんですよ。僕は知床の斜里というところで、立松和平さんとずっと仕事で旅をしていて。そして地元の鮭の定置網漁の漁師と仲良くなったんですね。実はその漁師と由紀江さんが、知り合いだったんです。 それでその漁師が東京に来た時に、「ちょっと飯食っているから、来いよ。」て誘われて行ったら、そこに由紀江さんが一緒だったと。そこからの付き合いなんです。 人の付き合いって本当におもしろいですよね。その知床の漁師は一回だけちょっと取材しただけなんですけれど、なぜかウマが合って、もう30年以上ずっと付き合っています。知床の鮭の定置網の船長と、東京の音屋さんがなぜか不思議な縁で。そこに由紀江さんが絡んでくるとか。いやなんか不思議な縁だな、と思いますね。
ここで社員の山川ひろみさんに、三上社長についてお話を伺いました。 Q.山川さんはどういったセクションでお仕事をされているんですか? 私が所属しているのは、コンテンツ事業センターという部署です。 こちらは主にテレビ番組、ABEMAなどの配信コンテンツ、スポーツなどの中継配信、そして企業のプロモーション映像など、映像の企画制作を行っています。また同時にDVD等の出版事業や、ライブイベントの企画発案、運営実施などの実務をやらせていただいています。 元々、制作部とコンテンツ事業部という2つの分野で動いていた映像を制作する部署が、去年一緒になりまして、コンテンツ事業センターという看板になりました。
Q.そのコンテンツ事業センターは、今何人ぐらいのスタッフがいるんですか? 現在、ざっと80名くらい、協力体制にあるスタッフを含めると100名前後のスタッフ数です。若手の方から、テレビのニュースのド真ん中を走ってこられた方まで、老若男女いっぱいいます。
Q.山川さんはTSPに入られてどのぐらいになるんですか? TSPでは多分10年ぐらいです。でも、その前から同様の仕事をしていて、業務的にはもう30年近くやらせていただいています。
Q.山川さんにとって、三上社長はどんな社長ですか? 社長の第一印象は、とても安心感があって、頼もしくて、でも身近でいてくださる方ですね。 すごく私たちを見てくださっていて、一つ一つの現場に、時間さえ合えば顔も体も出していただいて、現場の動きをちゃんと見た上で、感想を言われます。その上で、今どこにデコボコがある…みたいなことを、ご本人の言葉で私たちに伝えてくださるので、軌道修正の参考になっています。
Q.ご本人の言葉で話されるという所も、社長の人柄が感じられますね? 人柄を通しての言葉なので、逆に私たちも分からないことを質問しやすいです。そして決して分からないことを分かったように話すのではなく、ご自身の考えを返してくださるんです。 だから、そういう面では一緒に悩んでくださることもあります。また宿題として持って帰られた後、しばらく考えてから答えてくださることもあります。 いずれにせよ、決して私たちがやっていることを止めるというよりは、後押しする方法をいつも探してくださる!という印象が私にはあります。
Q.社長の言葉でよく出てくるフレーズがありますか? チャレンジをすることに対して、「やってみれば?」って言ってくださいますね。ただそれをやる上では、どういったことが足りないかとか、ネックだとか、乗り越えなきゃいけないなど、提案を重ねていってくださいます。 あとは「勉強しなさい」ってよく言われますね。 そして自分たちが実際にやる仕事ではないけど、その周辺の仕事やそれに携わる人たちがしていることに対して、自分なりに想像しなさいとも言われます。 自分に関係ない周りの部分でも、そこを整える作業をしていくほうが、いろんな意味で仕事の幅や成功の確率が上がるよっていうような話を折に触れていただきます。
Q.社長のお仕事ぶりを見ていて感じることは? とにかく本当に現場が好きで、現場に心も体も寄せてくれるという感じですね。 ライブの企画運営もすることがあるんですけど、今はちょっと難しいですがリアルで観客を入れる時も、本当に率先してお客様がハッピーでいられるためにはどうしたらいいかを、真剣に考えてくださっていました。もっと言えば、スタッフが今何に困っているのか考えて、「お腹すいていないのか?」みたいなことも心配してくれたり。多分、ご自身が実際にやってきたことではない仕事も多かったりするんでしょうけど、そこを想像し、動いてくださっている。そういう後ろ姿を私たちは見て、反省して、学ぼうとしていますね。
山川さん、ありがとうございました。 それでは再び、三上社長にお話を伺います。 Q.若手の大勢のスタッフが在籍されていますけれども、世代間ギャップを感じることはありますか? そうですね。やはりこのリモートの世界になって、リアルで会うということがなかなか難しくなってきている状況の中で、深く話すことができなくなっているっていうことは感じています。 私たちは、職人という言い方もするんですけど、ある技術を教える時って、やっぱりとことん叩き込まなきゃ駄目みたいな考え方はまだ持っているんですね。でも、それをどうやって教えるのかということが難しくて。 今後は、マニュアルで教えるといった切り替えも必要なのかなとは思っていますね。また初めに言った、TSPイズムみたいなマインドをどうやって教えるのか、そのコミュニケーションの取り方も難しいなと思いますね。
Q.座右の銘などありますか? よく聞かれるんですけど、座右の銘って特に持っていないんですね。 でも、最近読んだ本で、凄く引っ掛かった言葉があるんです。 それが、『物を変えるというのは凄くリスクを伴うんですけど、変えないともっと大きなリスクになる』というものです。 これは宇宙飛行士の方の言葉だったんですが、まさにうちの会社も同じなんですよね。うちってスペシャリストの集まりですから、ほとんど異動ってないんです。同じ仕事をスペシャリストがそのまま続けていることが多くて。だから変えるのはなかなか難しいんですけど、でもどこかを動かしていかないと硬直化してしまう危険性もあるんです。 勇気を持って変えていかないと、もっと大きなリスクにつながるというのが、このデジタルの世界になって凄く感じていることですね。
Q.今後、会社の改革や進むべき道など、考えていることなどありますか? 私たちは、ワンストップで、全て一気通貫でできるということを謳っているんですけども、特にデジタルの時代だと、撮影の仕方や、色の決め方、仕上げなど、そういったものをトータルで、お客様にきちんとしたアテンドもできるように、プロデューサーも技術を知らないと物ができないですよね。特に今すごく進化しているグレーディング(色補正)やメタバースなど、どれだけリードできるか、と。そういったデジタル化に対応する人間というのを非常に今重視して、教育し、融合を図りたいと思っています。
Q.具体的な動きも始めているんですか? この1~2年、「戦略部」という名前の部署を作りまして、DXを含めて、クラウドの利用の仕方、例えばオンプレ(オンプレミス)でやるのかAWS(アマゾン・ウエブ・サービス)をやるとか、そういったようなところをメーカーさんと一緒に研究して導入するといった研究部署を作ったんですね。それで、配信もできるスタジオを用意して、そこを研究拠点として、LEDとかバーチャル系などをどうやっていくか、みたいなことを進めているところなんです。 それがうまく機能すると、企画の段階から、撮り方を含めて色々なことができるし、バーチャルに対してどう取り組んでいくかみたいなところも見えてくるでしょう。これをやっていかないと、 今のままではやっぱり立ち行かなくなるだろうという思いは強いですよね。 |
インタビューに答えて頂き、ありがとうございました。
いろいろなお考えを知ることができて、とても有意義な時間でした。
私も大いに刺激を受け、向上心が再び湧いてきて、心が洗われました。
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