澤田名誉会長放談
皆様あけましておめでとうございます。
協同組合日本映像事業協会の新年会で今年も皆様にお目にかかる幸せを感じながらお迎えをいたしておりました。
お忙しいスケジュールの中、私共のために御出席いただいたご来賓の方々に厚くお礼を申し上げます。
昨年の新年会は、なんだか明るい気分でごあいさつしたのを覚えています。
景気も回復傾向を示し、7月のデジタル化の移行を目指して受像機の買い替えも順調で、テレビメディアも活気にあふれて新年度を迎えるはずでした。
ところが3月11日、東日本大震災が起ります。全てが一変しました。
そんな中、困難視されたデジタル化は災害地の遅れはありましたが見事に実行されました。NHKをはじめ関係者の皆様、民放局の先頭に立って指導された民放連の広瀬会長、本当にご苦労様でした。拍手を贈りたいと思います。ありがとうございます。
あの災害の中、奇跡的にテレビラジオはほとんど休まず情報を伝え続けました。
私は地震に揺れる中で、私達制作会社は当分仕事にならないと思っていました。というのもかつて石油ショックの時、節電で夜の11時から放送が全てカットされたのを思い出したのです。
そのころ私は大阪で制作会社をスタートさせたばかりで、しかも深夜番組の時間帯がマーケットだったのでどうしようもなく、仕事を求めて東京にやってきました。幸いまだ制作会社が数えるほどしかなかったのでなんとか生き残れました。
それから40年、いろんなことがありましたが、数多くの制作会社が生まれ競い合いながらテレビメディアを支えてきました。今回の災害では幸い短い我慢で済みテレビの現場はかなりのスピードで復活してきました。
だが、歴史的な円高が先行きを不安にさせていますし、4年以内に東京に地震が来る可能性があるとか、31年ぶりの貿易の赤字とか、次々と望ましくない情報が私達に決断を迫ってきます。
私などの頭で考えてみても解決法はありません。日はまたの昇る、山より大きな猪は出ないと呪文のように繰り返しながら一つ一つ乗り越えていくしかありません。
そんな私を支えてくれるのは石油ショックのあの状況を制作会社を率いて乗り切ったこと、そしてその原点は敗戦の焼け野原だらけの日本を生き抜いて再建してきた父親達の世代の日本人の姿を目に焼けつけていることです。
そして先程第13回目のヤング映像クリエーターを励ます賞を発表、次の世代を背負っていく若いつくり手の存在が私に勇気をくれました。
数社の大手制作会社と数多くの非力な制作会社が集まった私達J・VIGですが、全員がソフトづくりの情熱を高くもっています。このパワーをバックにどんな難局も乗り切っていく覚悟であることを誓って新年のごあいさつといたします。
今年もよろしくお願いします。